<鮎川君他・提供>
 
 

【ダジャレ・・・その47】
鮮魚(専業)農家・・・漁師のくせに

【ダジャレ・・・その46】
鼻のむずむずする・桜の咲いた、そいけんかいかね

【ダジャレ・・・その45】
アジサイの良し悪しは 味さい

【ダジャレ・・・その44】
区長さん何ですかその口調は

【ダジャレ・・・その43】
そがんことは外国でことが言い(国外)

【ダジャレ・・・その42】
風呂好きは長生きする・・・不長老寿

【ダジャレ・・・その41】
昔はゴーヤで一升飲んでいたが年とったせいか二合(にがく)ない

【ダジャレ・・・その40】
ゴルフ場に変わった鳥がいた・・・カントリー

【その93】
うちのバカ息子が、参観日の時、おいどんが、おーもんじゃ、先生の質問に張りきって手を上げて、こたえよった。ところが、(瓜二つ)を「顔二つ」て言うし、(熟睡)を「永眠」して・・・はずかしいカー 終わり


【その92】
ラーメン屋さんが3軒並んでいました。
ある日、一番左の店が「日本一うまいラーメン店」と看板をあげた。そしたら一番右のラーメンがうちも負けられんと、考えた末「世界一うまいラーメン店」と掲げた。さてこまったのは真ん中の店。うーんと考えて掲げた看板が「入口はこちらです」まいど

【その91
子供が喧嘩をしておりました。
「お前の母さんブスやっかー」
「何て言いよっかー、お前の母さんがブスやっかー」
「何ば言いよっかー、お前の母さん北島三郎に似とうやっかー」
「なんば言いよっかーお前の母さん耳から毛の出とうやっかー」そこえお母さんが来て、「ほらほらぁ、兄弟げんかせんとよっ」


【その90】
おばあちゃんが道を渡ろうと右左とキョロキョロしていました。向こうからダンプカーがえらい飛ばして来よったら、急に渡り始めたので、運ちゃんがビックリして窓を開けて「コラー我がー何ばしよっか」・と言ったら「ウゥゥ・・・百姓しよっ」

【その89】
亀とムカデが二階で酒のみよったら、酒が無くなったので亀さんが「おいが買うて来る」と言ってかいにいきましたが、なかなか帰ってこないので、2階の窓から見てみたら、何と、今玄関を出たばかりだったので「亀さん俺が行くよ」とムカデは言いました。ところが、今度はムカデが何時までも帰ってきません、おかしいなと思って窓から見ても姿はありませんので下に降りて見ると、まだ靴を履きよったて

【その88】
「わてー、最近、よー屁が出まんのや」
「最近は、屁で、ドレミファソラシド、ひけるようになったんや、」
「聞きたいてか、ほならドから行くで・・・」
「ウッッー、アラッ、ドがでんと実が出た」
 
 10月15日 言われてしまった・心のかたすみ
 

何時も書き込む時考える、人にはそれぞれ生活があり見える世界が違う。私が述べているのはどこか一つの方向からの眺めである。目的に向かい右に回る人・真っすぐ進む人・左に回る人。まだまだいくつもの道がある。しかし基本はあくまであると思う。その基本に忠実であったり枝葉がついたり、何かをなすがために反対の事をあえてやったりもする。でもいつかは基本に立ち返るべきである。

スポーツ・お花・絵・習字、他のどれにも基本がある。そのように最後は人としての基本に戻るべきである。年をとっても、若くても突き当たる壁があり、悔しくて、泣けてきて、多くの人が理解してくれない。その時、他人は自分の事では多い。しかし人は自分の事となった時、人格が変わる。日々怠りなくと云っても出来ている人は自分も含め100人に1人いるかどうかが現実である。私が思っている現実と理想が入り乱れているかもしれないが、多くの人の幸せに繋がればいいがと思い書き込んでいる。当然世の中はいろいろな人がいる。日本とアメリカ、朝鮮、それぞれ違う環境の中にいる。それは当たりのことだ。私たちの周りもしかり、家族、夫婦、親子でさえ考えが違う。欲がからめば人が変わる。人はそれぞれが我がままであり、ないものを求める。あれもこれもほしい、いつか欲求がいくつもの思いに変わり、優しくなったり、殺意をもったり、騙したりといろいろと変化していく。それこそ千差万別である。それは種の存続が基本として成り立っている。本来宇宙とか、惑星とか、地球とか、自然とかいろいろな理由の中、自然の成り立ちで基本がある。それをいろいろと、壊しているのも人間であるんですが、夢と希望が広がり未来に夢が見れればいいのかなと思う。人としての在り方を原点に戻していただきたい。私の、いや数多くの人が夢と理想を考える。そのいかんともしがたい理想と現実を求めている人が多いのも現実である。それゆえに今しばらく、私の世界を続けたい。


【7月1日 貧乏も・金持ちも】

いつもの通り平凡に、なんて言うけどそうはいかないのが人生である。
心にゆとりを持つことができるのか、コーヒー一杯で幸せに感じるのか、またレストランに行かないと幸せを感じないのか、そのいずれが良いかとは云わないが、心にゆとりを感じたら貧乏も金持ちもない、心は自由である。

私がこの仕事を創めたころ、貧乏で金もなく昼飯は喰えず、何日かに一度、コーヒーを飲めたのを思いだ。その時思ったのは、今から50年位前には田舎ではとてもコーヒーは珍しくしかも家で飲むことがそんなになかった時代に私の従兄が船乗りでライフル銃を買ってきたりバイクを買ってきたりコーヒーとそれを点てるサイホンを買ってきたりして、自慢していたのを思い出した。
その従兄は父母が亡くなり、私の家で育てられたので、家に帰ってきていた。その頃を思い出したら、何もなくても別にどうだということもなかった。そういう時代に戻ってみると特段の事はない、ただ人は欲があり、次から次へと欲が出る。自分でも呆れてしまう。
今日の食事が飯にタクアンであろうとカップヌードルであろうとステーキであろうと、食べたいもの好きな物ならラーメンでも良い、食事は質素であった方が体によく、金持ちは善いがそれでもまた欲が出る。
人はそれに群がり金が無くなると人は去っていく。それが現実である。今日は水しか飲めずとも明日は豪華な食卓を夢見てもよい、一番いいホテルも一番安いホテルもいい、違う環境があって、その中で幸せを感じられる位の貧乏と金持ちでありたい。同じ環境から少し抜け出したとき、こんな世界があったのかと想うことがある。それが大事である。
そういう環境に身を置くと自分の答えが正しいことばかりではないと気がつくこともある。
貧乏になってみないとその心はわからないし、また金持ちになってみないとわからないものもある。いずれにしても、しなくてもいい事をしているのが現状である。またいずれかの形で社会に還元すべきだが、貧乏であっても・金持ちであっても・・・・・


【6月1日 幸福・和】

考え方が違えども喧嘩をする必要がありません。人それぞれですから、相手の事を思いやれば良いのです。逆に自分が相手と考えが違うのかも知れません。 静かになんでだろうと考えるのも一考です。相手の状況や生い立ちによっても考え方は違うと思います。親・兄弟でも違うように、いちいち考え方が違うからと云ってケンカをする必要はない。それよりいつも和の心をもって和やかにありたいものです。

人のお役にたつという単純な思いこそ、幸せの極みです。恋する心と同じように相手の心を思いやる。何かしてやりたい。一緒にいたい。そんな幸せの中にいたいと誰でも思うのではありませんか。それがいつか自分中心になっている。相手が幸福で自分も幸せ、そしたらまた相手も幸せそんな巡り合わせの中で幸福であればいい。だけどそうはいかないから悩むのである。コンプライアンスを始め、是か非かに走ってしまう。
そこに至るまでの幸せの道は違うはずだけど、学職経験者ほど、こうだと言い切る。ま・・・教えてもらった事が正しいか間違っているかわからないけど、こうだと教えられたらこうだと云うのが学職経験者であり、人を恋したり愛したりするのもこうだという形はない。人それぞれの想いが形づけられていくと思う。社会に貢献するといっても体を使ったり、物だったり、想いや企画だったり、金だったりと随分違う。その一つ一つであってもそれぞれ違う。だからこそ人それぞれに人のお役に立ちたいと云う想いと行動が違うけれどそれでも人のため
世のためにやっているという想いは、ほのぼのとし自分も周りも幸せに浸ることができる。しかし相手に恩をきせては何の価値も意味もなくなります。
私はしばしでも幸せな心に浸りたい・・・


【5月1日 忘れ去った言葉遊びと・遊び心】

今朝方、有明のりを食していて、ふと想い出した。上から読んでも「山本山」下から読んでも「山本山」。
しかし漢字で読めばそう読めるが、平仮名に直すと違うなあと思った。昔はこう云う遊び心で言葉遊びをした。そう言えば、私が行きたい所の一つである熊野路について週刊ポストに書き込まれていた中に「熊野路に、遠き滝音、虹の幕」というのがあった。そう考えると面白くもあるが考えないと想い浮かばない。
例えば、「ダンスは済んだ」とか「竹屋が焼けた」というのもそうである。「確かに貸した」・「私負けましたわ」というのもある。
言葉遊びはたのしくもあり、難しい百科事典に「良き月夜」とか「夏まで待つな」と言うのがある。平安時代には「むら草に、草の名はもし、そなはらば、なぞしも花の、咲くに咲くらむ」というのもある。
初夢と宝船、枕の下の宝船に添える和歌の回文に「長き夜の、遠の眠りの、見な目覚め、波乗り船の、音の良きかな」というのがあり宝船だけでなくお祝いの席に添えるといい。こんなところで宝来山を思い浮かべ心を弾ませながら、言葉遊びは終わりたい。


3月1日 忍とは耐える事ではなく学ぶ事である
秋の枯れ葉が散り、ものさびしさに打ちひしがれていると冬の木枯らしが吹き荒れる。嵐がなかなか通りすぎない。それをも耐えてはいるが更に吹雪となって雪まで伴う。其の後に真っ白な銀世界が広がる何かわかったような、悟ったような気持にもなる。そのまっ白い雪化粧が少しづつはがされてまたどろどろの土が混じった汚いような景色になる。

ゆくたびか繰り返していると、梅の花が咲く。寒いのに精一杯の花を咲かせる。桃の花の頃になるとなぜか春めいてくる。桜の花となると、皆浮かれて活気を取り戻す。そして暖かな夏へと向かい、秋から・冬にかけてのあの厳しさを忘れる。人生もいくたびかそう云う機会に巡り合っていく。その中で人は一喜一憂している。本当のところ何も考えない。努力をしないのが現状ではないでしょうか。でもあの厳しい秋から冬にかけて学んだことは、けっして無駄ではありません。それは次にそういう事態が発生した時に対応できるようになっている。だとしたらその逆境の時こそ耐え忍び何をするか。しなければならないかが大きな課題となり、その人の一生を大きく左右する。その厳しさに打ち勝つことこそが唯一ゆるぎない成功への道べとなる。

いかなる人も嵐に打ち勝てばいつか春のようにうららかな春がおとづれる。前にも述べたような気もするが人それぞれにいろいろな事態が発生する。その野望の持ち方によっても違ってくるだろう。望む物が大きければ大きいほど苦しみも悩みも大きくなる。本当は小さな穏やかな生活でいいのかもしれない。しかし人は皆、志が高く欲があり求めるものが多すぎて迷う。ゆっくり時間をかけて、30年40年と過ごせばいいが短期間にそれを求めてしまう。自然の営み流れに逆らったらその分のつけが必ずどこかに戻ってくる。それを皆人のせいにします。教授になりたければそれ相当の努力が必要であり、それに必要な時間もおびただしくいる。

人はそれぞれに同じ時間を使う。求めすぎてストレスが蓄積して病気になることもある。ただあるがままの中で自然に学び喜びと出来ればよいが、儘ならないのが人である。いい人生とはどんなものだろう。あなたにとって幸せってなんでしょう。穏やかな春のような心でいたい・・


2月1日 遊び心・変わらぬ我がこころ

人生 50歳を過ぎてもまだまだとやる気があった。60歳を過ぎたらなぜか気が短くなってきた。昔に戻りつつある、更に粘りが、やる気が失せてきた。ついでに物忘れ、これには自分も参った。そのくせに言いたい放題云っている私がいる。だがつわものも多く、自分の理論を押しつけて正しいと言い張る。

いつもこれで良いというのは見つからない。そう人が思っているにすぎない場合が多い、地位ある者こそ、そうである場合が多く、その上の人から言われればまた変わる。だから弱い者はいつも弱者と云う。還暦を過ぎるとつい後の人生を考えてしまう後何年とか、すると遊び心が頭を持ち上げる。仕事ほどほどで遊びもほどほどと、つい考えてしまう。遊び心で仕事ができないものかと、美味しいものを戴き旅行もしたい。金も必要、夫婦の健康も必要しかし儘ならないのが人生である。程ほどが難しい。すべて上手くいっていれば気持もゆとりができるが、そんなもの望んでもなかなか難しい。

しかし男は単純で子供に戻る。女性は羞恥心がなくなり口数と理屈が多くなる。同じことでも昔はそうねと言っていたものが、だんだん言わなくなってくる一言いえば倍返しで返ってくる。私なんかつい怒鳴ってしまう。言いたいことが山ほどあってつい主語が抜けて意味不明になる。こう云えば嗚呼云うだろうなと考え出すともうどうでもよくなる。家内もたしかにそうねと言うだけでは納得がいくわけもなくストレスがたまるばかりである。仲の良い夫婦を見ればうらやましいと思うのは誰しもそうではないだろうか。そのくせつい自分が正当と言い張る。夫や妻の欠点、悪口を言えば云う程自分の価値が下がっている事なのに、つい出てしまう。宝石より連れ合いをほめるべきではないか、夫婦の一方の悪口はそれに留まらず、仕事にも影響を及ぼす、あの人にこう云って来てと言われてもけなしている連れ合いを使いにやってもうまくいくわけがなく、馬鹿にされるのが堕ちである。

世の中そうだと知りながら愚かな自分がいる。そんな状態で仕事も遊びもうまくいくわけがない。これから厳しい人生を歩まねばならない。だからこそ仲良くやれたらと思う、連れ合いがいなくなれば悠々自適と考える人もいるかもしれない。人生の集大成がそうであるなら寂しい限りだ、結婚した時と同じ心で、更に遊び心があれば良いがそうもいかないのもまた人生である。
今月は心の豊かさを求めスタートとしたい、皆さんもいかが、-・・・・余計なお世話か!


12月1日 難しい人の心・我がこころ

男性は照れ屋で外顔を考え理想を考えている、また本当はそうあるべき姿だとは思う。でも我儘である事も事実である。男性は言う…女性は答える。その時、大半が理屈をつけて返ってくる。簡単には答えは返ってこない。そうね、そうしたらいいねと言う言葉が返ってくれば男性は満足し嬉しくなる。

言い合いは家庭の中ならまだいいけど、外でいえば理屈は分かっていても見苦しい。そこに思いを走らせ気を遣う夫婦の会話に安らぎがあれば最高だ。しかし、どこも同じでそう簡単ではない。パズルを解きほぐそうとしても長い年月を経たパズルは簡単には解けない。お互い言い合えば喧嘩になる。喧嘩の議論になれば大抵は女性が勝つ。でも男性は自分の最高の理解者は家内であり喜びも苦しみも家内がいるからこそと考えている。ほんの最近メディアのアンケートで銀婚を迎えた夫婦に聞いたら二人の人生は最高だった、また次に生まれたら一緒になりたいと答え・女性に一文字で今までの結婚生活を表わしたらと問うたら二番目に忍の一字が出てきたとの事。

男性も考えないといけない。社会的にはおばさんパワーが強く何処へいっても一般的には女性が強い。通常の社会的な公共的な場所では男性が強く見えるがいかがしたことか、いろんなことに男性は未練たらたらだが、女性は割り切りが早く嫌になったら殆んど修復は難しくなる。結婚した時はこいつを幸せにする、またこの人に尽くすと誓い、その言葉もいつか夢のまた夢となる。人は人生の中で三度主役になると言われている。産まれたとき、結婚したとき、死んだとき、いやもっともっと幸せがあってもいい、思いやりこそ第一歩と考えるが、それでも空しい。

よく社長は仕事をしないでゴルフ・飲み方・役職の会合で仕事はあまりしていないと言うでもそれは自分の会社を否定していることになる。いかなる場合も従業員ではなく社長第一である。社長を否定することは会社を否定し仕事を否定していることになる。たとえそうであっても言わぬが花である。ある会社の○○電工の社員が私に口をそろえて言う社長は素晴らしい、市議にしても、市長にしても、県議にしても恥ずかしくないと答える。それを聞いた顧客は安心して仕事を発注できる。そうでないとクライアントは不安になる。でも人は自分が主役であり悲劇のヒーローと位置付けてしまう。もし社長がダメであっても社員が黙ってそれを補えばその会社は栄える。愚痴では何も解決できない。人は人を変えるには自分が変わらないと他人も変わらないと知りながら、儘ならないのが人である。


10月29日 その感動はそれぞれのもの

このところ感動が少なくなった。私が青年団活動をしていた時は数多くの感動があったような気がする。その感動は夢に向かって大いなる努力が伴い、時にはガックリと肩を落とすこともしばしばだった。だからこそ感情が高ぶったのだろう。感動が大きくて自分に自信がもてた。少しずつ大人になってゆくそのたびに私は行動と感情が封じ込めてきたのかもしれない。

結婚を期に更に変わったような気がする。社会の中ではそれが当たり前の事かもしれない。しかし私の心のどこかに童のようなものがどこかに残っている。そのことが出来るか出来ないかはわからないが、どこかに何かを求めているのかも知れない。

行政書士会社会貢献事業活動の中で漂流家族という劇を行った。このは話を聞いた時、私がフォーラムをやりたいと5年前から言っていた事に繋がった。総論賛成。各論反対の中から会長として実行に踏み切った。佐賀県行政書士会・総会前から行動に入り、最初に県の方から後援をいただき、総会に入る時に完成してないパンフレットを作成して、総会前のセレモニーで発表した。県・国会議員・県会議員・その他関係団体の人の前で内容を伝えた。その後、総会にはかり反対なしで、可決させた経緯があった。

しかし私にとっても未知の世界であり、問題が余りにも多い、リスクが大きいと感じていたのも事実である。でも会長として想うにいずれにしてもしっかりと責任をとるこの事だけを胸に刻んだ。この時の私の思いは全員参加でいかなるものにも立ち向かう思いや意識を一本に持っていきたかった。最初は疑心暗鬼でやめたい、人がそろわない、金はない、しかも佐賀の両端・鳥栖と唐津からの参加者が多いなか、中心の市内からは参加者が少ない会員は半数もいるのにとか。

役者も二転三転と変わる6ヶ月の猛練習となった。後半に入り参加者も金ではない、気持ちだ心だと感じ、口に出すようになっていた。当日は参加できる会員全員が裏方に回り、パネルディスカッション、無料相談会とすべてが、今までにない盛り上がりを見せた。劇に出た者も涙し、会にとっても個人においても人生の中でやれば出来るというもの、人としてやり遂げたことへの思い感動はその人にとって、永遠のものであり、もう二度と手にすることのない想いと感動であったと思う。ケーブルテレビの収録放送その録画を手にして永遠に思い描くことが出来る。
本当にすばらしい感動だった。深く携わったものほど感動は大きかったと想うが。